代表取締役社長 | 北川 清一郎

グローバルで事業を拡大し、M&Aや技術提携を進める中で、ナルックスは今まさに“第二の創業期”を迎えています。

技術の継承と革新を両立しながら、拠点・文化・人材をつなぐために掲げたのが「ONE NALUX」。
多様化する市場と急速に技術の発展が進む中で、全社員が同じ理念を共有し、
共に成長するための仕組みづくりが求められています。

北川社長の原点から経営者としての挑戦、そしてONE NALUXを通じた“グローバル統合”の未来構想まで
ナルックスがこれからどこへ向かおうとしているのか。
北川社長にONE NALUXとナルックスの未来について語っていただきました。

PROFILE

プロフィール

ナルックス株式会社
代表取締役社長 北川清一郎

1976年、同志社大学工学部卒業後、北川化工株式会社(現・ナルックス株式会社)に入社。
金型設計・レンズ研磨・射出成形・評価技術など、光学分野全般にわたり技術者として経験を重ねる。
1979年に取締役、1992年に代表取締役社長に就任。

以降、「技術を軸にした経営」を掲げ、特許戦略・大学連携・マトリクス経営体制などを推進。
近年は、理念統合プロジェクト「ONE NALUX」を立ち上げ、グローバル経営のもと、拠点・文化・人材をつなぐ新たな経営基盤の確立に注力している。

技術とともに歩んだ、私の原点

私は大学で機械工学を専攻していました。
ナルックスに関わるようになったのは、大学2年か3年の頃。
父に「会社に来い。お手伝いもせないかんやろ」と言われ、研磨機の設計などを手伝うようになったのがきっかけでした。

当時は一応、他の会社の試験も受けていましたが、面接官から「そのうちナルックスに行くんやろ」と言われることが多く、なかなかうまくいかなかった。そうした流れの中で、結果的にナルックスに入社しました。

正直に言えば、強い覚悟があったわけではありません。
ただ、父が築いた会社に身を置くうちに、“やらなければならない”という思いが次第に芽生えていった。
それが、自分の最初のスタートラインだったように思います。

入社当時、ナルックスはクラシックな射出成形を行っており、オムロンのリレーケースやルーペなどを生産していました。そのころは夜勤もあり、会社からの命令で子会社の現場へすぐに向かわなければならないこともしょっちゅうありました。

現場に行ってみると、納期が遅れてどうしようもない状況。
1人では対応しきれず、寝る間も惜しんで作業にあたる日々でした。
そこで、もう1人を連れて行き、昼勤と夜勤を交代しながら問題点を修正し、なんとかラインをつなげたことを今でもよく覚えています。

今の人たちからすれば、とても耐えられないような環境だったと思います。
当時は日曜日しか休みがなく、休日は疲れ果てて一日中寝て終わる。
それが、私が入社した当時のナルックスの姿でした。

当時は日本全体が成長していた時期で、業界にも勢いがありました。
仕事も次々とやってくるような状況で、カメラメーカーや家電メーカー、事務機器メーカーなどから「これをいつまでに開発してほしい」といった依頼が絶えませんでした。

私は、それらに必死で対応していました。
他のことを考える余裕もなく、ただ納期に間に合わせるために開発テーマに取り組む日々でした。
その中でもがきながら、金型づくり、レンズの研磨、射出成形技術、評価技術など、あらゆる分野を少人数でこなしていました。
時には自分ひとりで全部やらなければならないことも結構ありました。

今の人たちは専門分野を深く掘り下げる傾向がありますが、当時はすべての技術を手探りで学びながら進めるしかありませんでした。
幅広く技術的なキャリアアップをしていったと思いますが、経営的なキャリアアップはまったくできていなかったと思います。
とにかく狭い世界の中で、与えられた課題を納期に間に合わせることに必死で、技術のレベルを少しずつ上げていくしかありませんでした。

仕組みで動く余裕などまったくなく、とにかく来た仕事をこなすしかない。
お客様とも直接会話をして、自分で出張に行き、対応をして帰ってくる。そんな日々の繰り返しでした。

しかし、こうした日々の中で、「どんな状況でも自分がやり切る」
その姿勢だけは揺るがなかった。それが、今の自分の考え方の原点になっていると思います。

「技術の価値」と向き合った、転換の時代

当時すでに取締役として経営にも関わる立場にあり、社会や産業の変化を“現場”と“経営”の両方から見つめるようになっていた時期でした。
日本が高度成長の勢いを失い始め、私は「何かがおかしい」と感じていました。
プラザ合意の1985年以降、為替は一気に円高へと振れ、360円から250円、そして100円台へ。
それは日本の企業にとって激変の時代で、多くの企業が次々と海外へ生産拠点を移していきました。
ただ、その流れの中で、私は強い違和感を覚えていました。
「技術を安く売ってしまっているのではないか」と。
海外に出ていった技術者たちは、高い給料で短期間だけ雇われ、用が済めば切られる。
日本の技術が、まるで消耗品のように扱われていく状況を前に、「本当にこれでいいのか」と何度も自問しました。
当時の日本は、家電業界が衰退に向かいはじめた時代でした。
円高の影響で多くのメーカーが海外生産に切り替わり、国内では家電量販店の台頭により価格競争が一気に激化。「安さ」が優先され、技術や職人の価値が見えにくくなっていったのです。
その裏には、過度なコスト削減や、短期的な利益を追う産業構造の歪みがありました。

私はその背景に「技術の軽視」があると考えています。
もし技術そのものにもっと価値を見出し、付加価値をつけて世に出していれば、日本の製造業の未来は少し違ったかもしれない。

「安く売らないこと」「技術を大切にすること」
その考えが、今のナルックスの経営姿勢につながっています。
そしてそれは、単に自社の利益のためではなく、日本のものづくりの技術を次世代へと守り、受け継いでいくための信念でもあります。
どれほど時代が変わっても、“技術を誇れる会社でありたい”。そう強く思うようになりました。

もう一つの大きな転機は、リーマンショックの時期でした。
当時、デジカメに変わり、さらに携帯電話にカメラ機能が搭載され、主力製品であったカメラ産業が急速に縮小していきました。
フィルムカメラからデジタルへ、そしてスマートフォンへ。
写真を撮るという行為そのものが変わっていく中で、私たちが長年支えてきた“主力商品”が、一気に姿を消していったのです。

それでも会社として黒字は維持していましたが、その時に痛感したのは「一つの産業に依存する怖さ」
特定の分野に偏ることは、長期的には大きなリスクになる。
この経験を通じて、“幅広い分野に技術を応用できる企業”でなければ生き残れないと学びました。

反面、特定事業に特化したモジュールや最終商品への展開には時間はかかるが、力をつけてからでも遅くはないという考えです。
この気づきが、現在の光学・医療・自動車・精密加工など多領域にわたる事業体制へとつながっています。
単一の業界に依存せず、それぞれの分野で培った技術を横断的に活かす。
そんな「変化に強い経営」を志すようになったのです。

失敗を繰り返しながらも、「どう改善していくか」を常に考えるようになり、やがて“対応する経営”から“備える経営”へと意識が変わっていきました。
この転機こそが、いまのナルックスを形づくる礎になっています。

経営者としてのこれまでの取り組み

代表取締役の就任当初は、「社長としての自覚」があったかというと、正直、私自身はあまりなかったと思います。
ただ、時間が経つにつれて、会社を未来へつなげるためには、「技術を守るだけではなく、人を育てること」が不可欠だと感じるようになりました。

その気づきをきっかけに、本格的に新卒採用を始めました。
当時は採用活動そのものに多くの費用と労力がかかりましたが、友人経営者の勧めもあり、「会社説明会を開いて、若い人を自ら育てる」ことを決断したのです。

中途採用で人材を補うやり方もありますが、当時私は“新卒から育てる”ことが会社の文化や理念の継承につながると考えていました。
若い人たちが会社を理解し、思いやりを持ち、技術に挑戦していく。
その積み重ねこそが、企業の“基盤”を強くしていくのだと思っていました。
今は、少し変わり、途中から入ってくる方との融合が大事だと思っています。

この「人をつくる」という考え方は、いま掲げている“300年企業”という長期ビジョンにも通じています。
技術だけでなく、人を育てることが、未来のナルックスを支える最大の投資だと思っています。

就任してから一貫して意識しているのは、「技術を軸にした経営」です。
技術を守るだけでなく、どう活かすかを考えることこそが、企業の未来を左右します。

そのためナルックスでは、特許・大学連携・専門家ネットワークの構築を継続的に進めてきました。
特に特許取得数は180件(2025年11月時点)を超えますが、目的は取得そのものではなく「どう活かすか」。
毎月弁理士と面談し、事業戦略と結びつけた“攻めの知財”を追求しています。

また、大学や研究機関との連携も大きな財産です。
大阪大学やアリゾナ大学などとの交流を通じて、海外の工学思想や設計文化に触れました。
東京大学の畑村先生の畑村塾は技術経営に大きな影響を与えました。今でも畑村塾を続けています。
この経験から、「技術と経営を結びつける発想」が自分の中に生まれたと感じています。

さらに、弁理士・弁護士・会計士・金融機関・自動車会社役員のOBなど、多方面の専門家を“ブレーン”として迎えてきました。
経営を一人で抱え込まず、外部の知恵を借りながら判断していく。
そうした姿勢が、今のナルックスの強みにつながっていると感じます。

経営において常に意識してきたのは、「短期的な成果」ではなく「中期的な視点での成長」です。
四半期ごとの数字を追うのではなく、5年単位の中期経営計画を軸に、企業の着実な成長を描く方針をとってきました。

特に、技術系組織の多いナルックスでは、当初“技術のたこつぼ化”が課題でした。
「技術を磨くだけで満足してしまい、市場の動きを見なくなる」その傾向を打破するために、
私は「技術の深掘り」と「市場を知る力」の両立を重視した組織づくりを進めました。

その具体策として導入したのが、マトリクス型組織です。
ホンダの仕組みを参考に、技術軸とビジネス軸の2つのラインを持つ体制に変革。
社員には2人の上司がつき、技術面を支える上司と、市場視点を持つビジネス上司の両方から評価・指導を受ける仕組みです。

当初は戸惑いや混乱もありましたが、十数年の運用を経てようやく社内に定着してきました。
今では「技術を守るだけでなく、活かす組織」への転換が進み、事業部(ビジネスユニット)と営業が連携しながら、市場ニーズに即したものづくりを実現できる体制が整いつつあります。

このマトリクス経営は、単なる組織構造の変更ではなく、“技術と経営を結びつける文化”を根づかせるために構築した仕組みです。
技術を起点に事業を伸ばす力を社内に根づかせ、長期的な企業成長へとつなげる基盤となりました。

ナルックスの挑戦とONE NALUX

今後のナルックスが目指すのは、“光技術を社会に活かす企業”への進化です。
これまで私たちは「モノづくり」に焦点を当ててきましたが、これからはその「モノを通じて社会にどのように役立てるか」その視点こそが、技術の未来を決めると感じています。

たとえば、カメラや測定器にとどまらず、医療・農業・宇宙といった異業種への応用を見据えています。
光学技術を「社会実装」していくことが、これからのナルックスの使命であり、新たな挑戦です。
また、会社としては”異次元の商品“を目指しています。これは部品ではなくモジュールでもなく、最終商品に近づく付加価値を追求した今までとは違う究極の異次元商品です。

技術と経営、人と組織。この“融合”こそが企業の力を生み出す原動力です。
その一体感を生み出すのが、ONE NALUXの存在意義でもあります。
この両輪をしっかりと回しながら、ナルックスらしい形で社会に貢献していく。
それが、私が描く未来のナルックスです。

ONE NALUXとは、全社員が同じ方向を向いて進むための“組織づくり”の仕組みです。
会社の規模が大きくなるほど、部門間で意識のずれや情報の断絶が起きやすくなります。
その課題を解消し、理念を共有し合い、お互いを理解する
そんな「つながりのある組織」をつくるために立ち上げたのがONE NALUXです。

特に重視しているのは、“現場の声を経営に反映させる”こと。
上からの発信だけでなく、社員の意見や想いを吸い上げ、経営判断に活かすことで、
経営と現場の信頼関係を強化しています。
社員が「自分ごと」として会社を考えられるようになることこそ、このプロジェクトの目的です。

その実現のために、役員の声や社内サイトを通じて、社員が理念や他部署の取り組みを自分の言葉で理解できる環境を整えました。
理念をただ掲げるのではなく、“感じられる場”として継続していくことを大切にしています。

ONE NALUXは単なる施策ではなく、「ナルックスという組織を次の時代へつなぐ文化」を育む取り組みです。

ONE NALUXは、「グループ全体を一つの理念でつなぐための経営施策」として位置づけています。

外部(ステークホルダー)に向けては、“どの拠点のナルックスであっても考え方や価値観が一貫している”という姿を目指しています。
内部(ナルックスグループ)に向けては、海外拠点との文化的なギャップを解消し、「自分もナルックスの一員だ」と誇りを持てるようにすることが狙いです。

ONE NALUXを掲げた背景には、M&Aなどによる事業拡大の中で、異なる文化や価値観があり、グループとしての一体感を高める必要がありました。

「TEAM NALUX」から「ONE NALUX」へ。
この言葉には、「グループ全体が組織として本当に一つになる」という強い意志を込めています。
単なるスローガンではなく、グループ全体で共有できる理念・文化の仕組みを構築すること。
それがONE NALUXの原点です。

一言で言えば、ONE NALUXとは「ナルックスグループとしての成長の仕組み」。
お互いに力を合わせ、共に成長していくための“文化的エンジン”だと私は考えています。

これからは、ONE NALUXを軸に「グローバルで一体化した経営体制」をさらに強化していきたいと考えています。
その中心となるのは、日本本社と海外拠点の連携を深める“連結経営”の確立です。

海外拠点(中国・タイなど)は、単なる生産拠点ではなく、現地発の企画・開発・経営判断ができる“自立型組織”へと進化させたい。
そのために、日本から社員を派遣するだけでなく、現地でリーダーを育て、モチベーションを高める仕組みづくりを進めています。

ONE NALUXの理念を共有しながら、世界中の社員が「自分もナルックスの一員だ」と誇りを持てるようにしたい。
国や拠点を越えて、お互いに力を合わせ、学び合いながら成長していく。
そんな“つながる組織”をつくることが、私の使命だと感じています。

これまで苦しい時期を共に乗り越え、発展に貢献してくれた社員の皆さんには、心から感謝しています。
黒字経営を55期連続で続け、多少不景気が続いても耐えられる経営基盤が強化されました。
苦しい時期も多くありましたが、どんなに厳しい局面でも真剣に議論し合い、その中から新しい方法やアイデアが生まれ、次の一歩につながっていきました。そうした積み重ねが、今のナルックスを形づくっていると思います。

これからの時代、社員一人ひとりがスキルを磨き、今よりもっと価値を高めていくことが必要です。
それと同時に、会社は成長するきっかけを与える環境を提供していきます。

仕事を通じて気づきを得て、学び、成長すること。
失敗を恐れず、皆様には挑戦してほしいと思っています。

ナルックスの理念やミッションの根底には、「共に考え、共に成長する」という想いがあります。
皆で知恵を出し合いながら、より豊かな生活、より誇れる未来を創っていきましょう。

300年企業というビジョンは、永続的な成長を意味しています。
成長があるからこそ分配が生まれ、分配があるからこそ次の挑戦ができる。
分配が先にあるのではなく、あくまで“成長が起点”であるという考え方です。
ONE NALUXを通じて、海外とも力を合わせながら、その健全な循環を生み出していきたいと思います。

「光と極限の夢」は、ナルックスの成長を支える“コアエンジン”です。
光技術と極限技術を磨き続けることが、企業としての成長そのものを駆動していく。
その原動力を絶やさず、未来の挑戦を支える“光”をつないでいきたい。
そして、その挑戦の主役は、あなたたちです。

皆様と共に、技術と人、そして理念をつなぐことで、300年先にも誇れるナルックスを共につくっていきたい。
それが、私が描く未来の姿です。

INTERVIEW

役員インタビュー