【1957年】ナイロン製品を販売
わら工品からナイロン軍手
産業包装資材として伝統的なわら工品は繊維製品や紙製品に押されて
縮小の一途をたどった。この頃、政府の振興政策により花形産業となるナイロンやビニロンなど合成繊維の開発が急展開し漁網用テグスや軍手(作業手袋)といった産業用資材が試作され始めていた。
そこで当社は、これまでたてなわ(竪縄)を販売してきた三重県の真珠養殖業者へナイロンテグスを紹介する。1957年8月5日、資本金を一挙に6倍の600万円とした。
この年に西田取締役と宇野監査役が退任、代わって田中武一取締役と城戸平左衛門監査役を新任、翌1958年に宇野源蔵と川上忠五郎が取締役となり、川上忠三郎取締役が退任する。
真珠養殖業界では、貝の付着汚物除去に綿軍手の消耗が激しく、ナイロン製の要望が強かったので、東洋レーヨンからナイロン軍手の販売代理権を取得し、繊維製品・雑貨・履物など全国の問屋に売り歩いたところ、素人商売ながらよく売れた。それでもナイロン軍手は農家の副業として年中生産されるのに、売れる期間は夏から年末までに限られ、在庫資金手当てや手形割引に追われる一方、売り先の倒産も頻繁で資金繰りに苦労したものである。

※北川商店前にて




































