【1995年】阪神大震災による被害
外部環境変化による業績の反転、人を大切にする企業姿勢
この時期に円高が急進し、輸出産業への打撃が拡大する。また消費不況も深刻化するとともに、電子技術の革新によってスチールカメラ、ビデオカメラなど、旧来商品がデジタル化する端境期とあって、さすがにこの影響が当社業績に及んできた。1993年度は一転して前年度比23%減の23億円に後退する。
1994年5月に大阪工場のホログラム用クリーン化工事が完了した。ホログラムは、レンズを使わないレーザー光線写真法(ホログラフィー)の像を再生する素子で、顕微鏡写真や立体像撮影をはじめパターン認識への応用など、光学的情報処理に不可欠とされているものである。
1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災では、本社の精機工場建屋が損傷、大阪工場は水道管継手が数ヵ所破損したため水浸しとなった。社員は自転車や徒歩で出勤し、まず水道配管の修復に取りかかり、夕方には正常運転に戻す。
精機工場は応急の補強工事を進めるが、いずれ適当な場所へ移転することを内定した。神戸在住の社員が一人、家屋が倒壊する被害を受けたが、社内で見舞金を募集したほか、会社として住宅を斡旋するなどの援助を行う。





































